どうして対話ができないか

算数の授業。教科書の問題を10分、グループで協同して説明し合うことを急遽指示した。

これがまた、うまくいかない。ように見えた。子どもたちの中に入っていたら、うまく話し合っているグループもあったのかもしれない。ただ、全員が、特に立場の弱い子がうまく話せているとは思わなかった。

まず、やってはいけないポイントをおさらいする。

1:全員が解きたいと思っていない。

2:話し合いの土台がない

この2点がなければ、話し合いは始まらない。遊ぶ方向に進んでいく。学びのオーナーシップを手渡されたとき、どう扱っていいのかわからずに、手持ちぶさたになる。だから遊ぶ。子どもたちにとって、少し背伸びをすれば届きそうなもの。その課題設定が必要である。

その点、教科書の問題はどうだっただろうか。背伸びして届くものか。解き方として、確かに届きそうである。ただ、こちらが一度練習で行ってみる必要はあったかもしれない。

また、土台があるかについて。何を話し合えばいいのか、その共通理解がなければ、話し合いの場は空中分解だ。「この問題の説明について」では、あまりに抽象的。まずはペアでの学習が上手くいき、班になるのかもしれない。ペアで見せあうこと。どうして?と聞き合うこと。説明し合うこと。わからないことを、学びのチャンスと捉えること。

その設計がないままで、放任という形で手渡しても、オーナーシップは発揮されない。

「休み時間のように学ぶ」という感覚が欲しい。休み時間には、大人が指図せずとも話し合う。遊びについて、ルールを確認し、話し合う。自分から動く。それは、自分事になっているから。やりたいことであるから。それでは、「話し合いはこうやるんですよー」と説明する必要はあるのか。否、いらない子もいるだろう。ただ、欲しい子がいる事実もある。そこを選択させればよい。

「まずはこうやってみてね。それが慣れてきたら、どんどん自由にしていってね」という形ならば、子どもたちは自由になるために話し合う。守破離の「守」は説明し、大人から子供に写す。ただ、それがどのように生きるのか、やってみて、試してみて、失敗してみて、そして自由に扱えるようになっていく。その過程が大切。何回も転んでみる必要がある。

今後も、自由になるために。「休み時間お喋りを授業に」子どもたちの力を信頼して、転び続けていい場を作り続ける。

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