自分の深層心理に、「揉めたらどうしよう」、「保護者から何か思われていたらどうしよう」の恐れと不安が常にある。それが、昨日に如実に表れた気がする。
代わりに入ってくれた先生から、「何か揉めていたみたいだけど…」と聞くとドキッとする。「あー、誰が揉めたのかな」と思うわけだ。きっとどこか心の中で、担任が包み隠そうとしてる、何とかしようとしているから、ドキッとする。そこを突かれると痛い気がしてならない。
もちろん大人が生み出す環境設定も必要だが、それでも自分たちの「せい」で揉めている。先生の「せい」で揉めているわけではない。関係があるから揉める。そして、学校という練習の場で、大人が見守る安全圏の中で揉めることができる。それが社会に出る際に必要なスキルになることは間違いない。
注視したいのは、揉めたことではなく、「どう納得して関係を継続させるか」だ。揉めたから、「この子とは関わらない、無視する」では困る。自分で気持ちを話すこと、そして聞くこと。また、そこには感情をコントロールして、リスペクトの上で言葉を選んで伝えること、聞くこと。スキルとマインドとして、かなり高度なことが求められている。担任がはじめ仲介してもよいが、自分たちですれ違ったなと思ったら、対話を始めることが、ソーシャルスキルとして最も必要だ。
その点を鑑みても、いつまでも仲介しているから不安が抜けない。保護者に関しても同じである。しっかり繋がれているか。そこには、「どう思っているのかなあ、子どものことで不安に思ってないかなあ」と感じる。こちらが一方通行なのだ。あちらの思いが打ち出され、分かったうえで共有できる。まずは聞くスタンス、チャンネルがないから不安に感じる。そして、子どもの満足度に自信がないからそう思ってしまう。
揉めごとと保護者への不安は、繋がっている部分がある。子どもが毎日「学校が楽しい」と言い、学力面、友達面、生活面で充実していれば保護者への不安は減る。さらに、そこから両方向のやり取りが増せば、意味のない不安に駆られることもない。自分の不安の根源となるところは、学級経営的にも最重要課題でもある。
感情のコントロールに難がある子にこそ、ユニバーサルデザインの構造化が必要だ。その上で個別理解、個別への配慮と工夫が最大限のパワーを発揮する。「揉めたときの約束事」として、ルールを確立しておこう。それが、「揉め事も自分たちで解決できるよ」のオーナシップへと繋がっていくはずだ。
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