毎日を丁寧に、言葉で積み重ねる

1月5日から、更新が止まっていた。というのも、学校が始まったのが大きい。朝の時間にゆとりがなくなった。ついつい仕事の方が優先となって、本当にやりたいことへの優先順位がぶれていく。気持ちにも、ゆとりがなくなったのも大きいだろう。「こっちのことやらなきゃなあ」と、やるべきことを頭が占めていく感じ。

「それではだめだー!」と自分の心が警鐘を鳴らしている。自分の生活を仕事ややるべきことに振り回されている状態。体と心が離れていってしまう。自分は社会と繋がっているはずなのに、自分自身はそこにいないようだ。自分の生活を取り戻そう。そのためには、やはり朝に早起きするのが自分には合っている。自分自身の声のボリュームを上げること。そのためには、朝の時間にボリュームのつまみを回すんだ。

世に馳せる偉人たちは、早朝に起きていきなり執筆やアート作品の制作に取り組んだいう。まずはインプットではなく、いきなりアウトプットから始めたそうだ。

「起きてばかりじゃ、何も思い浮かばない」と思いがちだが、意外と起きてすぐにクリエイティブな思考が出来るのが人間みたい。実際に自分も文字を打ち込んでみると気が付くところが多い。意外と文字は溢れてくる。「頭が働かないのでは」という心配はよそへ行き、思考は留まることなく頭から手の方へ流れていく。

感覚としては、排水のように文字を打ち込む。もちろん、それなりに厳選して打ち込む。言葉を一つ一つ確かめながら、形成して。理屈の脳みそから、アートな脳みそへの移るようなイメージで。

そうやって、朝の時間をスタートで切れば、芋づる式で他の作業も自分の手に戻ってくる。振り回されることなく、乗りこなしていく感じ。

昨日、作家の時間のZoom勉強会があった。そこで、スティーブン・キングの言葉が話題になった。

「ドアを閉じて書け。ドアを開けて書き直せ。すなわち、文章の出発点は自分だが、書かれた文章は人の目にさらされるということである。書くべきことをしっかり把握して正確に、そう、できる限り正確に表現するならば、完成した文章は、それを読み、また批評したいと思う人々すべてのものである。」

書く作業は、自分一人で行う。これは大人も子どもも同じ。きっと孤独な作業。自分の心に閉じこもって、心臓部に向かって掘り進める。「あなたの言いたいことは何ですか」とざくざく掘っていく。

その間は、社会とは切断されている。ただ、下書きが終わったとき、それは人の目に晒されるものとなる。自分の扉は開かれ、世界とつながる手段となる。このとき、自分の言葉を丁寧に紡いでいて、正確に表すことが出来ているか。それが、人の内側に刺さっていく言葉なのかどうかが大きく左右するんだろう。どうしたら刺さるのか。それは技術というよりも、熱量の具合で分かれるのか。子どもの拙い言葉にも、涙する瞬間がある。作文能力の上手い下手ではないはずだ。

紡ぐ言葉に、思いと時間を乗っけることが出来るか。言葉は感情や思考によって形作られ、そうして自分が形成される。それが、世界と繋がっていく自分になる。自分のやりたいことは、「人と繋がりたい」という本能的な思いも、きっとどこかにあるのだろう。

丁寧に、かつシンプルに。

丁寧は、そこに時間をかけて、こだわって、自分らしく。

シンプルは、世界とつながるように、人とつながるように。そうやって、朝の時間を取り戻せば、自分がそこに存在できる。

コメント

タイトルとURLをコピーしました