自分のすきなもの

 自分のすきなものって、いつから決まるんだろう。今、教育業界では、「個別最適化」、「探究」がトレンドワードである。自分の学びを、自分でデザインする。自分がやりたい学びを、自分で探究していく。ずいぶんと「自分」ばかりである。

 ビルゲイツも、スティーブジョブスも、元々は自分のパソコンが欲しかった。その自分用を突き詰めていくことで、会社を作り、今や多くの人に求められるパソコンを作り上げている。だが、物語の始まりは「自分が欲しいものを、自分のために作りたい!」というエゴだ。

 慶応大学の佐藤雅彦氏が、学生に向けた講義でこのようなことを語っていた。

 「何だか、理由が分からないけど好きなものをいくつか並べてみる。そうすると、自分が魅力的だと思う物事に、共通する何かしらの法則が見いだされる。これは、自分を探っていく作業に他ならない」

 また、西村佳哲氏著の「一緒に冒険する」ではこのように語られている。

 「掘って掘って、掘り下げていくと、深いところで他の多くの人々の無意識と繋がる層に達する。人々に支持される表現は、多数の無意識を代弁している。しかし、その入り口は、個人的な気づきである。深度を極端に深めていくと、自分という個性を通り越して、人間は何が欲しいのか、何が心地よく思い、何に喜びを見出す生き物なのか、本質にたどり着かざるを得ない。」

 また、日本のトップマーケターの森岡毅さんは、このように語る。

 「弱みが強みになることはない。その人の強みの見つけ方は、『好きだな』、『やっていて楽しいな』の行為。つまり動詞の中にヒントがある。自分の好きなことを名詞ではなく、動詞で考えると強みが分かる。」

 変化の大きい社会になるから、自ら問題解決する力を持たなければいけないと、現代の教育者は語る。「偏りがあってもいい。自分の得意分野を伸ばしていけ」と、学校でも社会でも語られることが多くなった。だが、それを今の子ども達に求めるのは、あまりにも無責任すぎやしないか。

 先生が、「好きなものを磨け」、「得意や個性を伸ばせ」と言うが、子どもたちにとってはその伸ばし方が分からない。そもそも、今までの授業では広く、浅くを求められていたのに、急に丸投げされた感覚。「これからは、この道具が必要だから、速く使えるようになれ」と言われているようなもの。言われる方としたら、良い迷惑だ。どうしたら、現代の子ども達が「個別で探究する力」を身につけることができるのか。これは、大人側にも必然の探究プロジェクトになってくる。

 上記の三人の語りからヒントはありそうだ。きっと、自分らしさが出るのは、個人の気づきが出発点であるはず。そこから、いかに掘り下げていく時間や労力があるか。そこに共感してくれる、寄り添う伴走者がいるのか。その環境下で、あとは自分の感覚を頼りに掘り進めていくしかない。自分のことを見つける長い冒険になるだろう。それは、自分の人生をかけて長い時間を要するかもしれない。そこに付き合っていく覚悟が、大人にも求められている。

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