落とされにくい城を築く

キングコングの西野亮廣氏が語る言葉。

自分も獲りやすい城は、敵からも攻められやすく奪われやすい。だから、簡単に落城する城には興味がない。

つまりはどういうことか。落としにくい城を獲りに行く作業を怠らないこと。これが大切だという。

これが、今の現状だとどうなるのか。まずは、自分の属しているコミュニティで、幅を広げられているか。「○○さんがやることだったら、私も協力したい」このような関りが出来ているかだ。

街の中で言う居酒屋やスナック的な場があるか。人の交流があり、そこで関係が紡がれていく。残念ながら、それはない。じゃあどうするのか。現場で作るしかない。

しかし、ただでさえ忙しい勤務時間内にそのような時間と場が作れるのか。子どもたちが帰った後の学校。そこには特別なクラブや委員会、会議、明日への準備や教材の模索がはじまる。そこで、共同して活動できそうな、そしてそれが退勤時間内に終わり、明日への活力となれば多いに「持続可能なスナック的な要素へと変わる」

例えば、「先生たちのクラブ活動」、「先生委員会」、「やりたいことを話す会議」、「ペア授業準備」、「ステキな教材研究会」これが、1対1の関係であるならば、いけそうな気がする。

このような付き合いが続いていくことで、その人との信頼関係が生まれる。価値観の共有になり、学校観、児童観、教育観の話にも深まっていく予想が出来る。

作家の重松清さんが「みんなのなやみ」で人とのお付き合いについて語っている。

「付き合うって型がない。最近は、出会いの局面だけ肥大化しているような気がする。出会い系などまさにそれ。けど、付き合うって回数の問題じゃなく、深さの問題だと思う。人によって、付き合い方は違うから、参考やお手本もない。自分がその人と何をしたのか。その日々のディティールの積み重ねで、結果的に親友になったり、恋人になったりする」

じゃあ、その付き合いの深さを深めていくしかない。出会い方にこだわって、指を咥えて待っているのではなく、まずは「その人と何をしたい」だ。つまりは、自分がその環境で何が引っかかり、何をこだわって動きたいのか。その熱量から、動き出し、相手を巻き込み、付き合っていく。乗ってもらい、乗っかり合い、ディティールを紡いでいく。深めていく。

今の海辺の学校では、関係がぶれている。「自分のやりたいことができていない。」、「余裕がない」、「問題が多い。」

こんな負のループでは、大人が死んでいく。それは、子どもにも伝染していく。その子らしさは、先生らしさに表れる、というのがある先生の金言。本当にその通りだ。放課後の貴重なゴールデンタイムに、自分のやりたいことを詰め込んでいこうじゃないか。その時間がなければ、死んでるのも同じだ。

自分がそこにいなくてもいい。自分の使命を果たさないと。

口約束からはじめよう。手始めに、城攻めだ。

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