関係性で、私たちは生きている

大きなトラブルがあった。

廊下にある図工の作品に、いたずらのような落書きがあった。それも、一人の子だけに。どうも不穏な動きである。その子は、学級の中でもよく思われないことも多い。

それに気が気がついた男子が、私のところに報告に来る。書かれてしまった子は、「せっかく書いたのに・・・」と落胆した顔。私は、「大丈夫だよ」とその作品をはがした。

1人の男の子が思い浮かぶ。書かれてしまった子と折り合いもよくない。あとは、ついイタズラしてしまう癖が抜けない。「また。彼かなあ」

休み時間に、「ちょっとお話したいんだけど、いいかな?」

と呼んでみる。「さっきの○○君の作品について、お話することない?」

この聞き方も、いやらしさを感じる。尋問みたい。どんな切り口で聞けば、彼との関係性がより太くなるのか。それは次回に回したい。

聞かれた彼は、泣き出した。とめどなく、涙があふれる。

落ち着いたところで、話を聞く。

「いたずらしてしまいました。」

「何か、嫌なことをされて、やりかえしたの?」

はじめはやられたから、と言っていたが問うていくと違うことが分かった。自分でやってしまったと正直に話してくれた。

まずは、正直に話してくれたことに握手。それでも、人の作品を汚したことは叱る。

その後は、落書きされた彼に謝り、どうするか一緒に考えた。

「消しゴムで消してみる。」もちろん消えない。

「このまま、持って帰るのはあまりにかわいそうだよ。一生懸命仕上げたんだけど、もう一度作ってみるのはどう? もちろん、二人で協力して」

そんな話にまとまり、放課後に書き始める。隣では、「その書き方いいね」と励ましの声も聞こえる。

出来上がったものを、剥がしたところに貼りに行く、張る時も、二人で協力してやる。

「手伝ってくれて、ありがとう」そう言える彼の気持ちよさが素晴らしい。

「そういう時は、『こちらこそ。本当にごめんね』って言うといいと思うよ」

「うん。こちらこそ。本当にごめん」

そうして、落書きされたものは新しくなって終わった。その後、二人で図書館に行ったりして、関係がより良くなっている姿もあった。

この件で、担任が思ったことは「『落書きしてもいいや』と思う程度の関係性しか作れなかったこと」

もちろん本能的な、衝動的な部分からやってしまった要素もある。けれど、それが人の作品、学級の中の仲間のものと知ってやっている。結局、その程度の繋がりしか構築できなかった。それが悔しい。

だから、共に活動させた。全力でフォローしてもらい、良いところにお互い目を向けられるように。

人間は、人との関係性が悩みの大半だという。だからこそ、この人間関係が良好であれば幸せを感じられる。学級の中にいると、つい揉め事に対して鈍感になる。「子ども何だから当たり前。もっと喧嘩しつくした方がいい」と考えている自分がいる。ただ、それは子ども目線でかなりつらいことなのではないか。もちろん、毎日揉めないほうが嬉しい。けど、揉めてしまう。

揉めてしまった後の、話を聞いてもらった納得感や関係が良好になったという実感が欲しいはず。そこを蔑ろにしていいわけではない。

日常の授業で、関係を繋いでいく。そこに加え、トラブルになったときに、特別フォローのプレゼントを一緒に作る。そうすることで、「前とは違ういい関係」になれるはずだと思う。

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